近況報告という名の愚痴

すごくどうでもいい話, 仕事, 読書感想文

2022年も気が付けば残すところ3か月程度となりました。

これまでのところ、ろくなことのない年としか言いようのない状況でしたが、残り3か月どうなるでしょうか。きっとさらにろくでもないことが待っていることでしょう。

まあ、今年がろくな年にならないことは年が明けた時点で分かっていました。

というのは、昨年末あたりから新型コロナウイルスの第六波が流行の兆しを見せ始めたため、私は元旦から出勤だったからです。



コロナ禍が始まってからこっち、保健所は年中無休で稼働しておりまして、土日祝日も当番制で誰かしら出勤しなくてはならないことになっています。

私個人としては、第五波までは、なんとか頑張ることができていました。大変だけど仕方ない、県民の命と健康にかかわることだから、と。

しかしながら、第六波、そして続いて襲ってきた第七波はそれまでとは桁が違いました。

爆発的な陽性者の増加。そのほとんどが無症状または軽症であるという事実。それでも保健所に対応を求めて途切れることなくかかってくる問い合わせの電話。

限られた保健所職員だけで対応できるはずもなく、他の職場からも多数の職員に応援にきていただき、さらにはそれまで行ってきた業務を段階的に縮小することで負担を軽減し、どうにかこうにか日々を乗り切ってきました。

今でこそ、全数把握の見直しを始めとした業務縮小の動きがありますが、私はかなり早い段階でコロナ関連の業務は必要最小限に絞るべきだと考えていました。2月の中旬ごろ、第六波がピークを迎え、保健所も非常に混乱していた時期ですが、そのころにはもうこんなことは止めるべきだと考えていました。

単純に、常態化した休日出勤や、次から次へとやってくる電話による問い合わせに疲れたからということもありましたし、ただでさえ通常業務が山のように積みあがっているのに、これ以上付き合いきれないという思いもありました。


しかし、何よりもしんどかったのは、何のためにやっている仕事なのか全く理解できなくなってきたということです。

その一因は、オミクロン株が主流となってから、無症状者や軽症者が多数を占めるようになったことです。

私は、巷で言われるような、コロナが単なる風邪と同じであるというような言説には反対の立場です。軽症とはいえ39℃近い発熱をする人も多いですし、これだけ感染力が強いのだから、いくら重症化率が低いとは言っても重症者はかなりの数になります。

とはいえ、世間ではコロナがそれほど恐れるべき感染症とは見なされなくなってきたこともまた事実です。

多くの人は大して恐れることもなく大勢で買い物に行き、旅行に行き、食事をして、飲み会をして大騒ぎしては感染を広げている。

その多くはそんなにしんどそうでもなく、自宅療養で問題ない場合がほとんど。

私はそれでも、高齢者や妊婦、基礎疾患を有する人などの高リスク患者の発生を抑制するためには国を挙げて対策するべきだと考えていました。

しかし、そのような行政側の思いと、一般の人々の意識に大きな溝ができていることを如実に感じていました。

なぜ自分は休日返上で出勤し、通常業務の時間を削ってまで、こんなことをしているのだろうか。寝ていれば治るようなやつらに時間を割く必要があるのだろうか。

そのような思いがどんどん強くなっていきました。



最終的に私は、少なくとも全数把握を止めて、発生届の提出は高リスク者に限り、その判断は医療機関が行うべきだ。そうして少しでも行政側の負担を軽減すべきだと考えるようになりました。

それが2月中頃のことです。


感染症法上の分類を見直してインフルエンザと同等の扱いにするべきではないかとの議論もありましたが、私は、正直二類でも五類でもどちらでもいいから、とにかく運用方法を見直すことで行政と医療機関の負担を減らすべきだと考えていました。

実際には、分類の見直しについて、首相は慎重な姿勢を崩さず、現状での見直しは現実的ではないとの発言を繰り返しました。

今後、オミクロン並みの感染力で、なおかつ毒性の強い変異株が現れた時対処できなくなっては困るとの発言もありました。

しかし、現状ですでに現場は破綻しているのに、そのような変異株が現れたらどちらにしても対処しきれなくなるであろうことは明白でした。

言い方は悪いですが、「その時はその時」と、開き直ってしまわないと頭がおかしくなりそうでした。


また、8月下旬からの全数把握見直しに関する議論では、全数把握をすることのメリット、デメリット、続けるべきだ、いや、欧米を見習って止めるべきだ、というたくさんの意見を見かけました。

しかし、私にとってそのような「理屈」はもはやどうでもよいことのように思われました。

私は、首相のおっしゃるように、すべてを慎重に進められるならそれに越したことはないと考えていました。

行政や医療機関に十分な余裕があって、感染者の動向を把握したり、感染を抑え込むような努力が継続できるなら、そうした方がいいのは当然です。

問題は、もう継続したくてもできないぐらいに現場は疲弊し追い詰められているという事実でした。

理屈なんかどうでもいい。もうやりたくてもできねえんだ。ただそれだけのことなんだ。



まあ、そうはいっても、県民の健康を守るという行政としての責任、感染者が増えることによる社会的な混乱、その他様々な事情を考慮しないわけにはいきませんでしたが、私は、オミクロン株の重症化率の低さを考えれば、行政として対処する対象を高リスク者に限定しても、十分にそれらの諸事情と整合させることができると考えていたのです。


結果として、現在では全数把握の見直し、ハーシスへの入力の簡素化等、様々な対策が議論されたことにより、また、第七波が終息の兆しを見せていることもあり、若干の落ち着きを取り戻しつつあります。

しかし、今回のことで、政府が全くリーダーシップを発揮できなかったように見えることは情けなく思います。

業務の段階的な縮小にしても、上からの号令で一斉にというよりは、各自治体の現場判断で行ったことを追認しただけのように思えましたし、全数把握見直しの議論にしても、知事会からせっつかれたからやむなく、という印象がありました。

当然、議論には時間がかかるものですし、本来時間をかけて行うべきものです。

しかし、別に私は今日明日中に結論が出ると思っていたわけではありません。

私が全数把握の見直しをすべきだと個人的に考えていたのが2月の中旬ですから、実際に議論が始まるまで半年以上の時間があったわけです。

その間、まったく議論しているように見えなかったことが問題だと思うのです。

実際には議論していたのかもしれません。そうであったら申し訳ないことです。

しかし、私の眼には、知事会がうるさいから仕方なく自治体判断での全数把握見直しを認め、大混乱を招いたから、大慌てで国としての指針をまとめたようにしか見えなかったのです。


結果的に第七波はなんとか落ち着きを見せています。

第八波がいつくるのか、どれくらいの感染者が発生するのか、国としてどのように対応するのか、落ち着いている今のうちに大いに議論して方針を決めておいてほしいと切に願います。








コロナもそうですが、ロシア・ウクライナ情勢も非常にきな臭い状況が続いておりますし、決して対岸の火事ではないと思います。

しかし、我が国の政治能力では将来に対して悲観的にならざるを得ません。

もはやどうすれば良いのか見当もつきませんので、本でも読むことにしました。


最近読んだ本の中から、いくつか紹介します。


中野剛志著(PHP新書)

「奇跡の社会科学 現代の問題を解決しうる名著の知恵」

こちらは、私が好んでよく読んでいる中野剛志氏の新著でして、社会科学の入門書として、社会科学において特に重要な古典をわかりやすく解説した本です。非常に読みやすく、おすすめです。

紹介されているのは、マックス・ウェーバー、エドマンド・バーク、アレクシス・ド・トクヴィル、カール・ポランニー、エミール・デュルケーム、E・H・カー、ニコロ・マキアヴェッリ、ジョン・メイナード・ケインズです。

バークの「フランス革命の省察」、トクヴィルの「アメリカの民主主義」、ポランニーの「大転換」は読んだことがあります。

他に特に興味を惹いたのはデュルケームの「自殺論」でしょうか。いずれ目を通してみたいです。

やはり、歴史を振り返ってみると、天才としか表現のしようがない洞察力の持ち主というのはいるもので、そういう人たちの残した著書には現代でも十分通用する知見がふんだんに含まれているようです。

情報が溢れすぎていて、何を信用したらよいかわからないカオスな世の中ですが、これらの古典は自分の考えをまとめるうえで非常に有用だと思います。


もう1冊

デヴィッド・グレーバー著、酒井隆史監訳、高祖岩三郎・佐々木夏子訳(以文社)

「負債論 貨幣と暴力の5000年」

これは非常に分厚い大著でして、まだ読み終わっていないのですが、序盤を読んだだけでも非常に興味深い内容となっています。

歴史的事実から負債と貨幣について論じ、一般的な経済学で常識とされる、物々交換から始まって、その不便を解消するために貨幣が発明され、さらには信用システムへと進んだという定説を真っ向から否定する内容。

商品貨幣論の否定については先に紹介した中野剛志氏ら多くの方の著書で既に理解しておりましたが、より詳細に書かれている本書はとても面白く参考になります。

少しずつでもよいので読み進めたいと思っています。






そんな感じで、近況報告というか、生存報告というか、愚痴みたいなもんですが、今日はこれくらいで。


終わり。