【読書感想文】誰か「戦前」を知らないか 夏彦迷惑問答

読書感想文山本夏彦, 文春新書

2年近く前に買って、さわりだけ読んでずっと放置していた本を改めて読み直しました。

誰か「戦前」を知らないか 夏彦迷惑問答
(著:山本夏彦、出版:(株)文藝春秋)



内容としては、著者の山本夏彦氏と聞き手の女性が、戦前の色々な事物について話した会話を記録した形式となっており、著者の作った雑誌『室内』で連載されていたものだそうです。

聞き手は編集部の20代の女性社員で、現代の物を知らない若者の代表という位置づけらしい。

確かに読んでいくと、山本さんの話す内容や使う言葉について、100%理解できているふうではないのですが、それでもこの女性が優れた知性と頭の回転、ユーモアでもって山本さんと対等以上に渡り合っているのが面白いです。

僕なんか、この聞き手よりもはるかに多くわからないことがありましたからね。

でも難しい言葉やよくわからない事物については、「またわからないことを仰有る」とか「〇〇とは何です」とか聞いてくれるので、こっちも気楽に読むことができます。

著者は最初のページでこう言っています。

僕はあなた方の目の前に戦前という時代を彷彿とさせたい

戦前という時代はまっ暗だったとする、「戦前戦中まっ暗史観」を覆すために、あの手この手を尽くして戦前について語り、戦前の大衆もその日その日を泣いたり笑ったりすること今日の如くであったことを示そうとしています。

戦後日本の言い知れない歪さは多くの日本人が薄々感じているのではないかと思いますが、その歪さの正体を探るには敗戦によって断絶されてしまった歴史や文化を知る必要があります。そういう意味でこの本は一読の価値があるのではないかと思いました。

この本で取り上げられているテーマは次のとおり。

「大正(ご遠慮)デモクラシー」「活動写真」「郵便局」「牛鍋の時代」「ライスカレー」「寿司そば」「ラーメン」「教科書」「女学校」「きもの」「ふみ書きふり」「洋行」「菊竹六鼓と桐生悠々」

これらのテーマを元に、あっちこっちに脱線しながら会話が進んでいきます。

正直言って、当時活躍した人物や流行った映画、店の名前など、具体的なことはほとんど知らないので、読んでも「ふーん」としか思えなかったのですが、それでも「ふーん」と思いながら読み進めていくと、戦前の雰囲気がおぼろげながら感じられるような気になってくるのが不思議です。

なんせ具体的なことは知らないことばかりだったので、詳しい内容について触れる気はないのですが、この本を読んで勉強になったと思うことを一つだけ挙げておきます。

「大正(ご遠慮)デモクラシー」の節で登場した「鼓腹撃壌」という言葉、僕は初めて知りました。

満腹で腹づつみをうち、足で地面をたたいて拍子をとる様を表す四字熟語ですが、そこから転じて、 太平で安楽な生活を喜び楽しむ様、善政が行われ人々が平和な生活を送る様を意味するのだとか。

聞き手が「撃壌」を「劇場」と勘違いして、「劇場ですか。またお芝居の話ですか。」なんて言うところがまた面白いですが、山本さんはこの言葉を出しつつ、腹いっぱいならだれも政治に関心なんか持たない、腹いっぱいなら革命はおこらない、 と言っています。

確かにそうだよなあ、と思うのです。

僕は最近、自然科学や医学・薬学よりはむしろ、政治や経済、歴史、文化、思想なんかに興味があって、専らそっち方面の本を読むことが多いのですが、そういうことに関心を持ったのは、現代日本の政治や思想がでたらめで安楽な生活とは程遠い現状があるため、やむを得ず勉強している、勉強せざるを得ない、という背景があるような気はします。

善政が敷かれ天下太平であったのなら、政治に興味を持ったりせず、何も考えずに額に汗して働いていたことでしょう。選挙なんかどうでも良いと思ったに違いありません。

本書にはこんな具合に、はっと気づかされることがちょいちょい出てきます。



それと、本書を読んで驚かされたのは、山本さんの恐るべき記憶力と博識ぶりです。

本当はカンペでも用意しているか、事前に相当勉強してからしゃべってるんじゃないかと勘繰りたくなるぐらい、当時の人名や作品名、その他様々な知識がスラスラと口をついて出てきます。

それで、基本的に上から目線な語り口なのですが、聞き手の女性を馬鹿にした雰囲気はなく、むしろ聞き手とのやりとりを楽しんでいるような空気が全編にわたって流れており、読んでいて嫌な気分になることがありません。

これは聞き手の手柄かもしれませんが。

僕は山本さんの本はこれが初めてなので人柄はまったく知りませんが、この本から感じられる山本さんの人物像は、「老人らしい老人」というものでした。

一般的に、頑固で口うるさくて古臭い老人というのは煙たがられるものですし、僕も決して好きとは言えないです。

しかし、そういう存在は集団に一人や二人は必要なものだと思うのです。いてくれるだけで安心できるということがあると思うのです。

僕の好きなアニメ『昭和元禄落語心中』第二期の第8話、八雲と親分さんが会話しているシーンにこんなセリフがあります。

そういう目の上のたん瘤みてえな人は必要ですよ。いるだけで秩序を生む。それが伝統になっていくんです。



僕はこれを聞いたとき、本当にそうだと思いました。

山本さんからはそういう「目の上のたん瘤」的な、正しい老人の雰囲気を感じました。

僕が考える正しい老人像というのは、どちらかといえば保守的で落ち着いていて、昔のことをよく知っていて色々語り聞かせてくれる、若者が変なことをしそうになるときちんと正してくれる、昔のRPGに出てくる村の長老みたいな人です。

残念なことに最近はそういう(僕の考える)正しい年寄りは少なくなってしまったように思います。

本の中で山本さんも次のようなことをしゃべっています。

けれども今の老人は老人ではない、若い者の口まねに終始します。同棲しても何の参考にもなりません。

そして正しい老人であった(と僕が勝手に考えている)山本さんは平成14年に鬼籍に入っておられます。

いやはや。




さて、本の内容についてほとんど触れてませんが、なんだかんだで楽しく読めたような気がします。会話形式だから読みやすいし、項目あたりのページ数も多くないから気軽に少しずつ読んでいけるし。

ただ、人に自信をもっておすすめできるかというと、どうでしょうか。嫌いな人はとことん嫌いかもしれませんね、こういう頑固ジジイみたいなの。

実は山本夏彦さんの本はあと2冊ほど読まずに積まれたままになっているので、これを機に手を付けてみようかなと思います。

気が向いたらそちらも記事にします。

終わり