30歳過ぎて結婚しないのはおかしいのだろうか
今回の話題は結婚についてです。
最近、実家に帰るたびに次のような会話が繰り広げられておりました。
母「そろそろ良い報告が聞けるんじゃないの? J( ‘ー`)し」
僕「ないよ! ヘ(゚∀゚*)ノ 」
母「良い人ぐらいいるんでしょ? J( ‘ー`)し 」
僕「いないよ! ヘ(゚∀゚*)ノ 」
母「そう…… J( ‘ー`)し 」
僕「 ヘ(゚∀゚*)ノ 」
さらに、先日兄が結婚しまして、次は僕の番というわけです。
ですが僕は少なくとも今は結婚に対して興味を持てないでいます。彼女もいませんし。
別にこれは今に始まった話ではなくて、中学生ぐらいのころから、誰かと結婚して家庭を持つ自分の姿というものが全く想像できず、一生独身でも別に良いやと思っていました。
ただ、一度も女性と交際した経験がないわけではなくて、大学生のころに二人の女性とお付き合いをしました。
一人目は割と長く付き合いが続き、一時はお互いに結婚を意識していたような気がしなくもないです。気のせいかもしれませんが。
しかし、長く付き合っているうちに、噛み合わない部分や許容できない部分が大きくなってきて、さらに卒業研究が自分の中でかなり面白くなり始めたころに、実験に没頭して、一か月ほどほったらかしにしてしまったことがあって、一息ついて久しぶりに連絡したら彼女はブチ切れていて、そのまま愛想をつかされて別れることになったわけです。
二人目の時はあっという間でした。
付き合い始めて三か月ほど経ったころにこう言われたのです。
「やっぱりなんか違いました」
なんか違うとはどういうことなのか……
さすがにこの時はショックを受けて、一週間ほど脱力してしまいました。
この後、なんだかもうどうでもよくなり、結局自分は誰かと付き合うとか、結婚とか、そういう普通っぽいことのできない男なのだと思い至り、別に一人でいても困ることないしな、と開き直り今に至ります。
精神的には中学生時代に戻ったような感じでしょうか。
今にして思えば、やっぱり大学生のころは少し変なテンションだったというか、周りのノリにあてられていたようなところもあって、恋愛しなくてはいけない気分になっていたのかもしれません。
周りの人のせいにするのもあれですが。
とはいえ、今は結婚に対してひたすら否定的というわけでもありません。
良い縁があれば前向きに考えることもあるかもしれない、でも自分から縁を求めにいくほど積極的でもない、それに自分の子供というのも想像しづらいし、経済的にもどうなのか、まあずっと独り身だと世間体悪いし両親にも申し訳ないけどね、という感じです。
我ながら死ぬほどめんどくさいですね。
結婚しないのはおかしなことではないかもしれない
そんなこんなで、自分はちょっとおかしなやつなんだと自虐的に納得しているので、結婚についてはなんとなく思考停止状態でした。
そんな僕が結婚をネタに記事を書く気になったのは、以前読んだある本の内容で少し思うところがあったからです。その本がこちら。
『日本の没落』(著者:中野剛志、出版:㈱幻冬舎)
ドイツの哲学者オズヴァルト・シュペングラー(1880 – 1936年)の著書『西洋の没落』第一巻が発表されたのが1918年のこと。
『日本の没落』は、それからちょうど百年が経過した2018年に出版されました。百年の節目にこの大著を繙き、シュペングラーの描いた没落の様相がどの程度現代の世界と合致するかを検証するために書かれたそうです。
僕は『西洋の没落』を読んだことがないので、その内容については『日本の没落』から読み取るしかないのですが、『西洋の没落』には次のような記述があるそうです。
「歴史を前もって定めようという試みのなされたのは、本書がはじめてである。」
つまり『西洋の没落』は予言書としての性質をもつことになります。
『日本の没落』はその予言がどの程度的中していたかを確認するための書というわけです。
文化というものはいずれ必ず「没落」する
『日本の没落』で言及されるシュペングラーの歴史観は次のようなものです。
西洋文化に限らず、文化というものは、いずれ「没落」する運命にある。一つの高度文化には栄枯盛衰のパターンがあり、それは幼年期-青年期-壮年期-老年期という人の一生、あるいは春-夏-秋-冬という季節の移ろいになぞらえられる。すなわち、勃興(春)- 成長(夏)- 成熟(秋)- 衰退(冬)である。
シュペングラーの説によれば、我々の生きる21世紀は西洋文化の冬、つまり「没落」の最末期にあたるそうです。
『日本の没落』では、シュペングラーが「予言」したような、文化の「没落」と共に観察される様々な現象、具体的には、経済成長の鈍化、グローバルシティの出現、地方の衰退、少子化、ポピュリズム(大衆煽動政治)の台頭、環境破壊などはすべて現代日本においても生じており、日本が西洋と共にシュペングラー言うところの「没落」の道を辿っていることを明らかにしています。
『日本の没落』は非常に興味深い内容なので、是非多くの人に読んでほしいと思いますが、今回興味があるのは少子化に言及した第二章です。
人間は群れとしてはもはや生きようとは欲しなくなる
シュペングラーによれば、少子化は文化の没落と共に必然的に生じる現象なのだそうです。
『日本の没落』で引用されているシュペングラーの言葉を紹介しておきましょう。
こうなったとき、現存在がいよいよその根を失い、覚醒存在がいよいよ緊張してくるという事実から生ずる現象は、かの文明化した人間の不妊である。(中略)ここで論じていることは、近代科学が当然のこととして研究したような、きわめて平凡に因果的に、例えば生理学的に理解されうる何者かではない。ここに存するものは全然形而上学的な死への転帰である。世界都市の終末人間は個人としては生きようとするが、型として、群れとしてはもはや生きようとは欲しない。
『日本の没落』63~64頁
「現存在」と「覚醒存在」という言葉はシュペングラーを理解するうえで重要なキーワードですが、ここでは詳しく説明はしません。
とりあえず、「現存在」=「自然」、「覚醒存在」=「知性」と読み替えておけば良いと思います。
つまり、シュペングラーが言っているのは、人間の知性が肥大化し、子供をもつ意義や理由にまで頭を巡らせるようになることが少子化の原因だということです。
シュペングラーは言う。「子供が生まれないというのは、たんに子供が不可能になったからばかりでなく、とくに極度にまで強化された知性がもはや子供の存在理由を見いださないからである。」
『日本の没落』65頁
『日本の没落』では、西洋における少子化についてもう少し詳しく説明しています。
ヨーロッパの人口は18世紀から20世紀初頭にかけて、多産多死から少産少死への転換を経験しました。この人口転換は、当初、先行した死亡率の低下に出生率の低下が追い付いて均衡するものと考えられていましたが、1960年代後半以降、先進諸国の出生率は死亡率よりもさらに低い水準まで低下し、人口が均衡せずに減少するという現象が起きました。
ディルク・ヴァン・デ・カーはこの1960年代後半以降の人口転換を「第二の人口転換」と呼び、先行した多産多死から少産少死への「第一の人口転換」と区別しています。
ヴァン・デ・カーはこの第二の人口転換を脱・近代化への価値転換と結びつけて説明しました。
「脱・近代的価値」とは、自己実現や個人の自由を強く求める価値観のことを指します。
権威には無批判に従わず、自分の生活様式や人間関係の自己決定権を重視し、自分自身を自由に表現することを望み、既存の規範、価値観、社会的役割といった束縛からの解放を支持し、価値観の多様性を好む。そういう価値観です。
このような個人主義的な価値観の拡大により子供を持つことが自明なことではなくなり、自己実現との関連において改めて検討されるべき問題となったことにより少子化が生じたと言うのです。
これはシュペングラーの言う
「 個人としては生きようとするが、型として、群れとしてはもはや生きようとは欲しない。 」
という言葉と通じるものがあります。
この章を読んだ時、僕は、少子化は脱・近代的な価値観の下では必然的に起こること、もっと言えば、少子化はあらゆる文化・文明にとっての必然なのであり、現代日本で子供を持たないことは世間一般から外れた異常な行為ではないのかもしれないと思い、勝手に慰められたような気分になりました。
自分はそこまでおかしなやつではないかもしれない、と思ったわけです。
ところで、未婚と少子化は厳密には別問題ですが、一般的には結婚したら子供を持つことになるケースが多いですし、日本では特に結婚と出産にはまだまだ強い結びつきがあります。
僕自身、結婚について考えるときには子供ができた場合の生活について当然のように考えますからね。
つまり少子化が必然なら未婚化も必然なのではないか、と考えたのです。
なんだ、なら無理して結婚しなくていいじゃん! 普通じゃん!
という具合に都合よく解釈しました。
いや、そのりくつはおかしい。
という気がしないでもなかったですが、実際それほどおかしい理屈ではないのでは? というのが正直なところでした。
そこで、未婚化に関する日本の現状とその原因について調べて、自分は果たしておかしなやつなのだろうか、それとも自分のような考え方は一般的によくあることなのだろうか、ということを確かめようと思いました。
なんとここまで書いてきたことはすべて前置きだったのです!
というわけでここから本題です。
日本における未婚化の現状
まずは現状確認からです。
とりあえず公的なデータを確認しておきましょう。
これは厚生労働省のホームページで公開されている厚生労働白書から引っ張ってきたデータです。
50歳時の未婚割合というのは、いわゆる「生涯未婚率」というやつです。50歳で一度も結婚したことがなければ、その後も結婚する確率は低いだろうと考えられていたのでしょうが、最近「生涯」という表現は正確性を欠くということで、表現が改められました。 未婚化・晩婚化といったライフスタイルや結婚観の多様化に用語を合わせた形、だそうです。
これを見ると、男性は特に未婚率が高く、2015年では50歳までに一度も結婚したことがない男性は23.4%です。おおよそ4人に1人です。また、2035年には30%弱まで上昇すると推計されています。女性は男性よりも低めですが、2025年には20%弱に達するという推計です。
もう一つグラフをどうぞ。これは 内閣府のホームページから引っ張ってき た年齢別未婚率の推移です。
やはりどの年齢層でも女性より男性の未婚率が高くなっています。僕と同じ30代前半の男性に関しては、2015年の未婚率が47.1%です。なんと半分近くが未婚ということですね。
これらのデータだけ見ると、日本における未婚化は緩やかながら確実に進行しているように見えますし、現状の数字を見ても自分だけが特別おかしいわけではないような気がします。
しかし、僕の場合一生独身でも別にかまわないと考えているわけで、結婚したくてもできない事情がある場合とは分けて考える必要があるので、まだ結論を出すには早いです。
もう少し公開資料を見ていきましょう。
次は国立社会保障・人口問題研究所のホームページで公開されている、第15回出生動向基本調査です。
(国立社会保障・人口問題研究所 現代日本の結婚と出産 ─ 第15 回出生動向基本調査 (独身者調査ならびに夫婦調査)報告書─ 調査研究報告資料 第35号 2017年 3月 31日)
http://www.ipss.go.jp/site-ad/index_Japanese/shussho-index.html
この第15回出生動向基本調査は、2015年時点での調査報告書となります。
報告書によると、18歳~34歳の未婚者を対象にした調査で、
「いずれ結婚するつもり」と回答した人は
男性で85.7%、女性で89.3%でした。
一方、「一生結婚するつもりはない」と回答した人は
男性で12.0%、女性で8.0%でした。
やはり結婚する意志のある人が大半です。
さらに、「いずれ結婚するつもり」と回答した人の中で、「一年以内に結婚する意志のある者」の割合を就業形態別にみていくと、
男性では高いほうから順に、自営・家族従業等(66.3%)、正規の職員(59.9%)、派遣・嘱託(52.5%)、パート・アルバイト(44.6%)、無職・家事(33.6%)、学生(14.8%)となっています。
特定の傾向が見てとれるような気がしますね。
女性の場合、学生の13.7%を除いて、全て60%~70%の間に入っており、就業形態による差はほとんど見受けられませんでした。
また、18歳~34歳の未婚者で、結婚することに利点があると思うかどうかという質問に対して、
「利点があると思う」と回答した人は
男性で64.3%、女性で77.8%でした。
どのような利点があると考えているかというと、
男性では「子どもや家族をもてる」(35.8%)、「精神的安らぎの場が得られる」(31.1%)が高かったです。
女性では「子どもや家族をもてる」(49.8%)が断トツに高く、また、「経済的に余裕がもてる」が20.4%と、男性の5.9%よりも高く、しかも近年一貫して増加傾向にあります。
ついでに言うと、「子どもや家族をもてる」と回答した人も男女ともに増加傾向が続いています。
一方、「利点はないと思う」と回答した人は
男性で33.3%、女性で20.7%でした。
では独身生活に利点があると考えている人はどうかというと、
「利点があると思う」と回答した人は
男性で83.5%、女性で88.7%でした。
男女ともに、「行動や生き方が自由」というのが断トツの理由でした。
次に、「いずれ結婚するつもり」と回答した人の中で、「一年以内に結婚するとしたら障害になることがあるか」という質問に対しては、
「障害になることがあると思う」と回答した人は
男性で68.3%、女性で70.3%でした。
その内容は、男女ともに「結婚資金」が高く、男性43.3%、女性41.9%でした。
また、結婚意思のある25歳~34歳の未婚者で、「独身にとどまっている理由」をたずねたところ、
結婚しない理由は男女とも、「まだ必要性を感じない」(男性29.5%、女性23.9%)、「自由や気楽さを失いたくない」(男性28.5%、女性31.2%)が高かったです。
結婚できない理由としては、男女とも「適当な相手にめぐり会わない」(男性45.3%、女性51.2%)が高く、次いで「結婚資金が足りない」(男性29.1%、女性17.8%)が高かったです。
さらにさらに、18歳~34歳の未婚者で、「交際している異性はいない」と回答した人は
男性で69.8%(「交際を望んでいる」31.9%、「とくに異性との交際を望んでいない」30.2%)
女性で59.1%(「交際を望んでいる」26.0%、「とくに異性との交際を望んでいない」25.9%)
でした。
以上のデータをまとめると、日本では未婚率は上昇傾向にあり、30代前半の男性では2人に1人、女性では3人に1人が未婚だが、多くの者は将来的に結婚する意志があり、にも関わらず交際している異性はいない者が多数派を占めていることがわかります。
そして、結婚意思はあっても、相手がいない、経済的に厳しいなどの障害があると感じている者が多いこともわかります。
さらに、独身生活の利点や、独身でいる理由には、『日本の没落』で書かれているような「個人主義的な価値観の拡大」を感じさせるものがあります。
結局、一生独身でもかまわないと考えている僕のような男は少数派ということがわかりました。
ここからはさらに突っ込んで、ではなぜ、結婚意思のあるものが大半であるにもかかわらず、未婚率が上昇しているのか、その理由について詳しく調べていきましょう。
未婚化を推し進めてきた2つの力
色々と文献を読んでみたところ、少子化や未婚化の理由については諸説あって、何が正しいのか判然としないような感じだったのですが、一つ興味深い文献を見つけましたので、それを基に考えてみることにしましょう。その文献がこちら。
加藤彰彦 「未婚化を推し進めてきた2つの力 ―経済成長の低下と個人主義のイデオロギー―」 人口問題研究 67-2号 2011年6月 pp. 3~39
この文献も、国立社会保障・人口問題研究所のホームページで公開されています。
( http://www.ipss.go.jp/syoushika/bunken/sakuin/jinko/277.html )
この文献では、1999年の「第1回家族についての全国調査」(NFRJ98)で収集されたデータの内、1931年~1970年生まれの日本人男女5,884人(男性2,811人、女性3,073人)を対象に、離散時間ロジット・モデルによる分析を行い、未婚化をもたらす二つの主要な要因を特定しています。
この分野では「イベント・ヒストリー分析」と呼ぶらしいのですが、詳しいことはよく理解できていません。すみません。
結論だけ先に書いてしまいますが、その要因とは
マクロ経済成長の低下にともなう階層格差の拡大
そして
個人主義イデオロギーの普及による共同体的結婚システムの弱体化
です。
二つ目の「共同体的結婚システム」というのは一言でいうと「お見合い」です。
あまり長々と書きすぎると良くないので、要点をまとめるにとどめますが、興味のある方は自分で原典にあたってみてください。
どういう分析を行っているかというと、まず、説明変数として、「学歴」「職業」「出身階層」という3種類の社会階層指標と「経済成長率」を投入し(コントロール変数として「きょうだい数」「きょうだい構成」「生育地」)、さらに、経済成長の低下に伴う階層格差の拡大と未婚化との関連について調べるため、各階層指標と経済成長率の「交互作用項」を投入することで、結婚の発生に影響を与える要因の特定を試みています。
その結果、男性の場合社会階層指標の中でも特に「職業」が低い階層に属する者ほど結婚の確率が低い傾向にあるが、経済成長にはその格差を緩和する効果があったということです。
女性の場合、全体としてマクロ経済は女性の結婚に対して直接的な影響を与えていないことを示唆する結果でした。
近年の未婚化に関する議論では、女性の未婚率の上昇の理由を学歴や社会経済的な地位の向上といった要因に求める「女性の自立仮説」が大きな支持を得ていたそうですが、実はこの仮説は実証的な根拠に乏しく、筆者の解析でも、社会階層が高いほど結婚確率が低いというような結果は得られなかったということです。
筆者は、未婚化のペースが女性よりも男性で早いことに着目し、1970年代半ば以降のマクロ経済の成長力低下に伴って階層格差が顕在化したことで男性の未婚化が進行し、それに続いて、女性の配偶者選択の幅が狭くなったことにより女性の未婚化が進行したのではないかと推察しています。
しかし、ここで一つ疑問が生じます。
実は、20世紀の日本では晩婚化が2回起きているそうです。2回目は今まさに進行中の70年代半ば以降から始まったものですが、1回目は30年代から40年代前半にかけて起こったそうです。
これは若い男性たちの出征によって結婚が遅れたことが原因ですが、無事に復員した者たちの多くが結婚したので、結果として30歳代以上の未婚率は低い水準に留まりました。
この時、戦中・戦後の貧しい状況の中でも未婚率は上昇しなかったそうです。
つまり、未婚率の上昇は経済成長の鈍化だけでは説明できないことになります。
そこで筆者が着目したのが、高度成長期以前の日本に存在した、結婚をめぐる多様な慣習・文化の影響、つまり「お見合い」です。
『日本の没落』でも言及された、ヴァン・デ・カーらによる「第二の人口転換」論に筆者も触れていますが、筆者は、彼らが言うような、女性たちが経済的自立を達成したことで再生産に関わる行動をより主体的に自己選択・自己決定するようになった((男性も含め)個人主義的な結婚行動・恋愛行動が拡大した)ことが「第二の人口転換」をもたらした、という説明が日本に適用できるかどうかは疑問の余地があると言います。
出生動向基本調査のデータでも見てきたように、日本では、多くの未婚者は将来的に結婚する意志を持っています。そして、それにも関わらず、交際相手はいないと回答した人が多数派を占めていました。
つまり、日本では独身のまま恋愛やパート ナー関係をエンジョイしている「非婚派」は少数派で、「第二の人口転換」論にあるような、 個人主義的な結婚観・恋愛観は少なくとも行動レベルでは浸透していないのではないかということです。
しかし、一方で、行動レベルでは個人主義が実現していないとしても、自己選択・自己決定・自己実現などを「進歩」とみなす「イデオロギーとしての個人主義」は1980年代終わりのバブル経済のころから過剰と言えるほどに広まり、「個人の能力」「競争原理」「成果主義」「自己責任」が強調され、企業をある種の共同体として統治する日本的経営が否定されてきました。
そしてそのような世間の風潮が結婚に与えた影響こそが、若者の結婚を社会的に支援する慣習的システムの弱体化、「見合い結婚」の衰退だと筆者は言います。
かつては結婚相手のいない若者には身近な大人たちが釣り合いの取れる配偶者の候補を次々に紹介してマッチメイキングしていました。「仲人」ってやつです。
また、60年代以降は会社がある種の共同体としてマッチメイキングの機能を果たしてきました。
しかし、個人主義的イデオロギーの普及とともに、若者の結婚に積極的に関与することは個人の自由の侵害という意味合いを帯びてくるようになり、仲人をともなう結婚も少なくなってきました。
見合い結婚の割合は50年代の約60%(50%半ば)から90年代の約10%へと減少しました。
(第15回出生動向基本調査によると、2015年は5.3%)
また、仲人を伴う結婚の割合は80年代半ばまでは90%程度で推移してきましたが、90年代後半には51%となりました。
そこで筆者は、先の分析に説明変数として「仲人あり結婚比率」あるいは「見合い結婚比率」を追加投入し、再度分析を試みました。
すると、男女ともに「仲人あり結婚比率」と「見合い結婚比率」が高いほど結婚確率が有意に高いという結果が得られました。
また、女性の場合、先の解析モデルで有意だった「経済成長率」が今回のモデルでは有意でなくなり、経済成長と未婚化との関連は女性においては間接的であり、より直接的な影響力をもつのはマッチメイキングシステムの衰退であるという結論となりました。
以上のことから、筆者は未婚化の主因は最初に述べた二つ、つまり
マクロ経済成長の低下にともなう階層格差の拡大
と
個人主義イデオロギーの普及による共同体的結婚システムの弱体化
であると結論付けています。
経済成長には結婚のチャンスに格差を生じさせる社会階層の力を緩和する効果がありますが、70年代半ば以降の経済成長の低下に伴い、階層の力が顕在化したことが男性の未婚化が進展した原因であり、そしてそのことにより、結婚可能な男性の人口規模が縮小し、女性側でも結婚相手の供給不足が起こって未婚化が進んだ、というのが一つ目の考察。
二つ目は、共同体的結婚システムの弱体化は、特に、経済力のある男性の供給不足に直面した女性にとって、相手探しのコストと困難が増加したことを意味し、そのために90年代に女性の未婚化が一挙に進んだというものです。
さて、要点をまとめるだけと言いながら、随分長くなってしまいましたが、なにせ本文だけで30ページもある文献でしたので、ご容赦いただければ幸いです。まあ、こんな長文ここまで読む人なんてそうそういないとは思いますが。
ここまでのことを簡単にまとめると、日本において、結婚する意志がある者が大半であるにもかかわらず未婚率が上昇しているのは、一つには経済成長が鈍化したから、もう一つは見合い結婚が減少したから、ということになります。
『日本の没落』で言及された「第二の人口転換」論に見られるような、個人主義的な価値観の拡大は確かにあるが、それは少なくとも日本においては、個人の結婚行動・恋愛行動に大きな影響を与えるには至っておらず、共同体的な結婚システムの衰退という、より構造的な影響力をもって未婚化を引き起こしている、ということです。
やっぱり自分はちょっとおかしなやつだった
こんな無駄に長い文章を書いて、いったい何がしたかったんだろうか。
まあなんというか、一応考えるだけは考えましたよ、というポーズを取っておきたかったといいますか。
とはいえ、生涯独身でもかまわないと考えているという時点で、僕は少数派であることがわかってしまったわけですが。
しかし、未婚化の原因の一つである経済成長の鈍化は自分にはどうしようもない問題ですよね。
実際問題、働いていたころにいただいていた給与は、結婚して、子どもつくって、家建てて……、と考えていくと十分な額だったとは言い難いです。
夫婦共働きで、安い賃貸でつましく暮らせばなんとか、といったところでしょうか。
見合い結婚の衰退ってのもどうしようもない問題ですが、でも見合いはしようと思えばできるか。
しないけど。
というわけで、外的要因でどうしようもない側面もありつつ、けれども結局のところ結婚しない選択をしているのは自分の意志なので、やっぱり僕はちょっとおかしなやつなんだということが再確認されました。
ただ、僕がこんな少しおかしな価値観を獲得してしまったのも、これまでに受けてきた教育とか、世間の空気の影響ということが絶対あると思うのですよね。
おそらく、これから先僕みたいに一生独身でも良いと考える人は少しずつ増えていくような気がします。
実際、出生動向基本調査で「一生結婚するつもりはない」って答えた人の割合はまだまだ低いですが、微増傾向にあることも事実です。回を追うごとに確実に少しずつ増えてきています。
今の政治では経済成長の停滞は打破できそうにないし、それに今みたいに伝統的な価値観に背を向け続けていると、僕みたいに変なやつが増えていくんじゃないでしょうかね。
まあ他人のことはどうでも良いか。
とりあえずしばらくは結婚することはなさそうです。
母よ、すまん (ノД`)・゜・。
終わり
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